人間には、第6感というものが、あるらしい。


自分は、こういう事柄を結構意識している。


「予感」


でも、それにはちゃんと理由がある、と思っている。


例えば、ここはカンチャンに受けたなら和了しそうだ、とか、


そういう感覚は、実は刷り込まれた「過去の自分の経験によるもの」であることが多い。 


また、勉強会と実戦はイコールとはなりえない。


「一生懸命打つこと」と、「必死で打つこと」は、やはり違う。


今回の対局では、それを痛感する。


勉強会では、動画をとっているので、容易にその対局を振り返ることができる。


なので、一生懸命に打つ。その時の気持ちまでも、ちゃんと振り返ることができるように。


そうできているつもりだった。


勉強会も実戦も同じ品質で打てていると。


「観戦させていただいてもいいですか?」


背後に人を背負う。


その瞬間、ちょっとギアがあがる。


いつもより、透き通るような心地よい感覚。


123789m79p79s発発発


ドラ7m


ピンズが重なれば、8sはツモれる。


問題は、8sが先に入った時だ。


8Pでの和了は難しそうだ。


8sが入っても、カン8pでのリーチは×。


全体の河をみても、ピンズの上は重い。


カン8pが上家から出たなら、先にチーだ。


ここまでのことが、逡巡なくこなせている。


どうすればよいか、の判断にまよいがなく、遊びがなく


揺るぎない一本道が見える。


懐かしい感覚だ。


手牌と場と思考が繋がり、魔法がかかっているみたい。


自分で言うのもなんだけれど、淀みない。


まだ、自分に、こういう麻雀が打てたのか、と、喜びと安心がこみ上げてくる。


麻雀の対局こそ、ライブであるべき。


必死で淀みなく打つ感覚は、研ぎ澄まされており、理屈を超える。


打牌を撮影していないから、二度と振り返れない。


記憶の中に残せなければ、なくなってしまう「切なさ。」


だからこそ、愛しく、必死で打つ。


目的が違うのだから、勉強会では、同じ温度にはなれない。


「実戦でしっかりと戦うため」の勉強会だ。


「勉強会の教材のため」の実戦ではない。


ただ、どちらも、目的は


「淀みない 良い麻雀を打つこと。」だ。