その次巡、中が重なる。


五六七⑤⑥556南南南発中中


ああ、5ソウを切るのかな?


と思っていたなら、ここから、発を切った。


?なぜ?とめてたんじゃないの?


この発を ひたすら待ち焦がれていた、といわんばかりに


トイメンが少し驚きを交えながら鳴く。


ポン! 


誰だってこの局は和了したい。


ここ局さえ制することができれば・・・誰もがそう思っているはずだ。 


全員が最短距離で和了に向かうその緊迫した空気のなか、


ますたぴょんは、リャンシャンテンから中を重ねて


大外から一気に和了に向かう。 


ディープインパクトかな。


全然思っていたことと違った。


ますたぴょんは和了をあきらめてなどいなかった。


ぎりぎりの本当のぎりぎりまで我慢していただけなんだ。


自分の麻雀を信じて。


五六七⑤⑥556南南南中中


ここから、上家の切る7ソウをチー。 


本当にしなやかに、5ソウが卓上に落ちる。


まるで、ここまでの道のりを知っていたかのように


平然と切り出された5ソウは、どことなく荘厳な感じがする。 


トイメンから④をロン和了。


ほんの数秒の出来事だった。 


1000点の和了。


だけど、中身の重さが違う。 


三色の形も残っている。


ホンイツやスーアンコウの形も入っている。


何にでもなれる、どこにでもいける形。


とてもじゃないけど、まねできない。


まねできないし、かっこいいなあ、と思う。


私はかつて、こういう麻雀に憧れていた。


こういう麻雀を打てるようになりたい、と思っていた。


重くて、一生忘れることができない、打牌。


我慢に我慢を重ねて、一点を突破してゆくその強い意思。 


お金を賭けることがどうだ、とか


そんなこと恥ずかしくて口に出来ない


圧倒的な説得力のある打牌。


ホンモノだ、と思う。


そう思うと同時に、自分もホンモノになりたかった、ということを思い出す。


だけど、とてもじゃないけど、自分にはハードルが高いと思う。


西を仕掛けないこともできない。


そんなに我慢できない。


我慢をし続けていたけれど、


我慢をしない周囲のせいにして


いつしか自分の中の本当に求めていた麻雀を


完全に見失っていた。 


ますたぴょんの麻雀を観戦していて


自分の麻雀が恥ずかしくなる。 


この対局は、私が観ていなければ、誰にも


どこにも残らない。


ますたぴょんだけが知りうる対局だ。


きっと、そんな麻雀とずっとともに戦ってきたのだろう。


孤高の麻雀打ちだ。


なんだか、得体の知れない激情がこみ上げてくる。 


残された時間はそれほど長くはない。


もうどんな理由があっても、軽い麻雀は打たない。


その結果、同卓者にどのような影響を与えることになろうと


それは私がどうこうできる次元のハナシではない。


そうしなければ、何もかもママゴトになる、とまで思った。


だって、自分がそうしたいのだから。 


麻雀というものは、おのれとの戦いで、


他人に対して答えを求めたりしてはいけないものなのだ。


語りたいことがあれば、打牌で語るべきだ。


言葉にしないからこそ、伝わるモノだってあるわけだから。


いつかそういう粛々とした麻雀に辿り着きたい。