1500を仕掛けて、手詰まりして、リーチに8000点を振り込んだ。

何をきってよいか、わからなくなって、ワンチャンスに逃げた。

整わず、自分の一番卑下する打牌となったことを真摯に受け止める。

逃げて、振り込んだことについて。



上映時間まで、かなり時間がある。

訊ねたい局面もあり、声を聴きたい気持ちも手伝い連絡を取る。

「昔は、勝つことばかりを考えていたけれど、

最近は、どういう麻雀を打てるか?ばかりを考える。」

西風荘のマスターの声をスマホで受け止める。

染み入るような想いのこもった声。

同じ気持ちだった。


少しでも響けばよいなと。

麻雀を打ちたいから、強くなる必要があった。

負けると、次の半荘がなくなる。

賭けない麻雀しか存在しなかった時代。

麻雀を打つために、勝つことが一番大切だと思っていた。


他人の和了を捌き、他人を和了させない。

その結果、仕掛け主体の麻雀となる。

誰よりも早く和了する麻雀。


そのあと、師匠に会い、「リーチに手を止めるな」と習う。

「リーチを打つ人間はテンパイであることを告知して、手を止めてくれているのに、

リーチを打たれたほうが、手を止めてどうするのだ。」という。

リーチを打ったほうは、その和了抽選を求めて打牌選択もできず、

場に対して何の干渉もできなくなる。

リーチを打たれたほうは、ツモ切りしかできない人の

無作為に切り出される牌を踏み台にして、手牌を高得点に組むことができる。


他家のリーチに対して、場を見て諦めずに色や形を重ねて押し返す麻雀。

どんなに遠回りをしても、食い下がる麻雀。

その為には、振り込まないことが絶対条件になる。 

よしんば、振り込んでしまうことがあったとしても、

死力を尽くした力強い振込となるように。

振り込むことは咎ではない。

一か八かの牌を切り出すことが咎なのだ、と、私は思う。


ただ、この自分の麻雀はマイノリティ。

自分なりにたくさんの麻雀を学んで、たくさんの実戦を経て

「自分が一番好きな麻雀」へと向かう。

「正しい麻雀」でなくとも、「好きな麻雀」と共に過ごしたい。


科学される麻雀を吸収しながら、さらに「重い好きな麻雀」へ

洗練させたい、残り少ない時間を悔いなく使いたい。


自分が思う温度の高い有志で、最後の勉強会を行う。

1局、3時間ほどかけて徹底的に、精査する。

録画した動画を徹底的に見返す。

半荘1回に6時間くらいかけているイメージだ。

それでも、足りない。



目的が違えば、到達点も違う。

打ちたい、のか、

知りたい、のか。


自分は、知りたい。


打牌には、責任がともなう。

麻雀は4人で打っていて、おのおのやるべき仕事がある。


これらを踏まえて、残りの対局は、本当に重いものにしたい。



これまでの全ての対局と、まだ見ぬ未来の対局、同卓者に対して

打つ人間を選定して、矛盾のない、恥ずかしくない麻雀を打ちたいと思う。