23799m888p 68s東南白発
ラス目
ドラは7p
とにかく役牌を重ねたい一心。
役牌をとにかくいずれか重ねて 
それを軸にしてトイトイとか、
いろいろ道を見つけたい。
三色もある。
三色になるときには、ドラも使いたい。
とりあえずこの配牌なら、
トイトイは見るけど後回しにして
三色と役牌に絞ってみた。
打九ワン。
抱えて堪えて待ち続けた役牌が重なり
123789m6888p  チー768s ポン発発発
ツモ7p
1000オール
これで三着に浮上。
ただ、その次の局、ラス目のリーチに
現物の6sがあるのに、無スジをぶったきる。
一発裏のないルール、まっすぐ18000に組もう
純チャン三色のリャンシャンテンだ。
どうせ拾った点棒だ、とまっすぐ打った
無スジをの牌が安目に直撃。
リーチピンフ2000点直撃でラスに。
これは、自分の本当によくない宿痾だ。
この自身のバランスの悪さに辟易とする。
高得点狙って振り込むなら仕方ない
というよくわからない思考。
その理屈なら、前局の1000オールって
いったいなんなの?と思う。
こういう矛盾ってほんと、
我ながら救いようがない。

開かれた1p高目イーペーコーの1枚をみて
改めて自分の短慮を痛感。
考えたなら、ラス目のひとも
必ずしも着順のあがる手組が組めているとは
限らない。
うっかりツモや、ダマロンは
さすがによしとしないから、リーチ、
ということだってあり得るはなしだ。
ツモでしか着順が変わらないなら、
見逃したりいろいろ苦労する可能性だってある。
1巡過ぎれば、さらに
新しい情報が生まれることが麻雀だ。
耐えて道を見受けようと頑張れば
気付きが生まれて、そこからトップをとる
なんてことも往々にしてあるものだから。
迷ったときには、苦しいほうを選ぶ。
どちらを選ぶことも難しいときには、
堪え忍んで先に落ちる情報を待つ。
それを心がけている理由は、
心がけないと、全うできないからだ。
楽して勝ちたい。
でも、それがつまんないことだと知ってる。
楽なことには意味がない。
楽して、よかったことなんて、
何も思い出せない。
もらった手牌で運試しゼンツ。
そういう麻雀の楽しさは、
すぐにつまらなさに変わるから。
もらった手牌を、どれだけ悔いなく
慈しむことができるか?
それを競いたい。
他人、とではなくて、自分と。
自分の他の選択肢、過去の選択肢、
学んだ選択肢。
あらゆる自分のなかの麻雀の全てを
おさえつけて、納得できるだけの
揺るぎない打牌理由。
ひとつでも多くそれを重ねてゆきたい。
だから、18000だから、勝負。
ではなくて、現在の状況で
一番重く納得のいく選択は果たして何なのか?
そこからちゃんと、考えなければだめだ。
結果振り込むにしても。
薄い内容になるくらいなら、
もう打たない方がいい。

どんなときでも、どんな麻雀でも、
おろそかにしないで、重い選択を重ねてゆけば、
必ず上質な何かに届くと信じいる。