東1局全ツッパの法則 [麻雀小説サークル]

このお話はフィクションです。


ほんとうのきもちはないしょだよ。





青年は、「よろしくお願いします!」


と、挨拶をする。


私は、自分の経済的に危機一髪な様子など


すっかり忘れてしまって


「ひさしぶりやな、今何しよん?」


と、近況を尋ねる。


青年は、パチプロをやっているらしい。


うまくいっているらしく羽振りはよさそうだ。


大学を出てそのあと、どんな世界を生きてきたのか


サラリーマンにはない、不敵な雰囲気を身にまとっている。


どのような時間を重ねて現在に


至ったのか、それはわからないけれど、


自分で選択肢したのだろう、ということはわかる。


パチプロで、こんな時間から


麻雀を打っている様子からすると


まあ、マトモとは言い難い。


アウトローな状況なのだろう。


10万買った。


今月は、70万買っている、


などの会話が飛び交っている。


現在のわたしには、パチンコを打つ


金銭的な余裕などない。


種銭がない、のだ。


現在できることは、


卓の上に落ちているお金を拾うこと。


気持ちを抑えて丁寧に打てば、


トータルで時給1,900円前後に収まることを


自分のフリー雀荘データが証明している。


店のカウンター脇。隅の卓は、花台。


エースの常連が卓を囲む。


常連卓であるその卓は、強い人間が集う。


その日最初の半荘は、その青年との


同卓から始まった。



手牌を見つめ、自分の麻雀の目的を括り付ける。


「今日は、10,000円は持って帰らないと。」


それがノルマ。


調子が悪い、と感じたなら、すぐに卓を洗う。


そう、それがこの古い友人ともいえる


青年が相手であっても。


青年の背後に、青年の彼女が腰かける。
ふわふわしたイメージが青年の雰囲気によく合う。
ペコリと挨拶をして、優しい笑顔を浮かべ
青年の手牌に視線を移す。
彼女も麻雀を打つのだな、と思った。


サイコロを振り、親番を引き当てた。


中盤にドラを絡めた


58ソウ待ちのリーチドラ1


の手が入り、即リーチ。


開局1発目のテンパイは押す!


これがわたしの当時のスタイル。


親番で両面テンパイなど、


青年が無スジの4ソウを切り


ノータイムで追いかけリーチ。


赤5ソウ単騎をツモ和了して


2000,4000、の2枚。


なるほど、ゼンツの遊び麻雀だな、と思った。


が、あまりにも迷いのない


4ソウ切りに、ちょっと違和感を覚えた。


5ソウを切って、他のターツを伸ばせば


少なくとも、亜両面の待ちにはなる。


けれど、敢えて5ソウ単騎。


私のリーチは河も強く、4ソウも5ソウも


危険度は変わらないように思う。


これは、「東1局全ツッパの法則」かもしれない、


と、わたしは、過去の青年との時間を思い出す。


これは、高校生である青年と過ごした雀荘「さーくる」での会話。


歯の抜けた、見るからにチンピラで、


多分本当にチンピラだろう、と思われるおっさん。


紙でできた不思議な造形の日本酒をチューチューやりながら、


若者の麻雀を後ろ見して、野次を飛ばす。


「おうおう!ええ若いもんが、東1局からオリてどうするんや?


麻雀はな!気合よ、気合!。


男らしゅう戦った奴のところに勝利の女神は微笑むんじゃ。


流れを大事にせえ!流れを!」


このチンピラのおっさんの言うことは


当時「そのとおり!」だとみな思っていた。


東1局は押したほうが得だ。


残りの半荘でいくらでも調整が利くのだから。


また、麻雀はある程度、和了にむかわないと


ツキに見放されてしまう。


「東1局は全ツッパ!」


青年は、この言葉をこれまで


守ってきたのではないか?


我慢のない麻雀。


振込むことの怖さを知らない「遊びの麻雀」。


そんな麻雀に、我慢に我慢を重ねて、そう


あらゆる「麻雀でやってみたいこと」を我慢している


自分が、何故、負けなければならないのか?


カモだな。


青年に対してそう思った。


今日のノルマの10,000円は


授業料として青年から貰うこととしよう。


品性の欠片もなく、私はそう思った。


その次局、私は、そう思った自分を


ぽかぽかと殴りたくなるような目に合う。







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残滓 [麻雀小説サークル]

このお話はフィクションです。



新しくできたその雀荘。


金融業や、パチプロがその客層のほとんどだ。


ただ、店の雰囲気があまりにも良すぎることと


店員さんの接客がパーフェクツなため


とても賑わっていた。


あの青年との出来ごとから、8年。


その頃の私は、どん底にいた。


いつもお金がなかった。


何もかもうまくいっていなくて、


麻雀で小銭を稼いで、生活を繋いでいた。


そのことがたまらなく恥ずかしくって


古い友人には、合わせる顔もなかった。


どん底の惨めな気持ちの日々。


数限りない思い通りにならない出来事。


その中で、麻雀だけが、唯一


努力や我慢を裏切らない存在だった。


遊び半分に楽しんで麻雀を打っている人間は


そのかわりお金を置いてゆく。


我慢をして苦しい麻雀を打っているわたしは


そのお金をひろってゆく。


楽しい麻雀なんて、もう忘れてしまった。


お金が必要だ。


たまらなく惨めだった。


麻雀の理屈だけが、私を支えていた。


お金に執着する必要のない、


大きなお金の感覚の中に身を置いている


パチプロや金融業のみなさんは、


「勝ちに行く麻雀」ではなく


「楽しむ麻雀」を好む。


なので、勝つことだけを考えている自分にしては


本当に凌ぎやすい雀荘だった。


一円でもお金を持って帰る。


トップよりチップ。


赤ありの手役の取りこぼしは


お金を捨てるようなものだ。


赤ドラはお金だ。


調子が悪い時は、打たない。


調子のよい人とは、同卓しない。


他家をいかせて、振り込ませる。


ラスを他人に押しつける。


目立たないように、ありとあらゆる姑息な手を駆使して


毎月、ほぼ毎日通って7万円くらいをあげていた。


その7万円程度のお金が、その時は本当に必要だったのだ。


月末は、本当に苦しくて、20日を過ぎると眠れなくなる。


ゲーム代金があまりにも安いこと、


客層が甘いこと、


店の雰囲気があたたかいこと。


楽園。


その楽園に守銭奴が混じっている。


そんな感覚。


いつも、お金のことを気にせずに麻雀を打ちたい。


そう心のなかで思っていた。


パチプロたちや、金融業のひとが


来店する午後23時のゴールデンタイム。


いつものように、燃費の悪いロータリーエンジンの車に


身体を埋めてガソリンをあまり使わないように、


注意をしながらその雀荘に向かう。


もう一台の外車は、車検が切れて駐車場に眠っている。


お金がないから、処分ができないのだ。


いつものようにドアを開けると


その店内に懐かしい笑顔が見える。


間違いないあの時の青年だ。


きれいな愛想のよい彼女を背中に


なんだか、妙に慣れた手つきで


麻雀牌を小気味よく河に並べている。


あの頃の麻雀への情熱。


麻雀を打つこと、が好きだった自分。


こころのなかにある、その残滓。


いつものように、お金のためではなく


ただ、その青年と麻雀が打ちたい、と思った。


「おひさしぶりです!」


青年は変わらない笑顔を私に向けると


彼女に、わたしにはお世話になった、などと


紹介をしてくれた。


懐かしいあたたかい気持ちがこみ上げてくる。



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トイレ代走 [麻雀小説サークル]



少し秋めいてきた季節。


市内で、唯一の低レートの麻雀。


エレベーターのない建物の3階。


点0・3 の300円600円


ゲーム代金 250円


大きいお札で、一晩遊べる。


学生だった私は、帰省時はそこに入り浸っていた。


朝10時にパチンコ屋に並んで


パチスロのモーニングサービスをとり


(昔パチスロには、モーニングサービスというものがあり


朝一、1ゲームでビックボーナスをそろえることができる台


そんな夢のようなサービスを店側が、用意してくれていた。


7枚交換なので、5000円くらいの勝ちにしかならないが)


5000円をもって、その低いレートの雀荘へ。


夕刻6時になると、階段を駆け上がる音が遠くに聞こえて


元気よくその店のドアが開く。


「おつかれさまっす!」


学生カバンをさげて


制服のまま、その青年が入ってくる。


青年は、お店の売りである100円の棒ラーメンを


注文して、カウンターのわきに陣取る。


それから、3時間は、観戦している。


理由は簡単。


お金がないのだ。


高校生だから。


市で一番の進学校に通う青年。


青年が麻雀を打つことができるのは、


気心の知れた常連の「トイレ代走」のみ。


「おう、トイレや。代走してや!」


その言葉を待ちわびて、


トイレの間、その1局を打つ。


麻雀が好きで好きで仕方のない様子が


もう全身から溢れ出ている。


青年は、毎日、放課後現れる。


必ず、現れる。


階段を駆け上がってくる音が今日も聞こえる。


目をキラキラさせて、常連の麻雀をみつめている。


人当たりの良い素直な性格で、


皆から愛されていた。



と、ある日。


私は、その店にしては高レート?な


1000点50円の麻雀で遊んでいた。


そして本当に調子がよかった。


3回くらい続けてトップを取っていて


4回目の半荘。


東3局で、8000点を振込み


流れがなくなったな、と感じたところに


注文していた「カッツ丼」が来た。


カッツ丼は、麻雀打ちのための食べ物。


名前も、片手で持てるその仕様もサイコーだ。


だから、食べながら打っても構わなかったのだけれど、


私は、どうせこの半荘は、「捨て」だと思い


若者にいい恰好をしたい、そんな下卑た気持ちも手伝って


青年にどや声で代走を頼んだ。


「めし、食うわ!代走してや!」


飛んでくる青年。


私は、青年によたりながら


「どうせ、ツキがなくなってきとうけ、


この半荘は、あと好きに打っていいばい。


もし、トップ取れたら、その浮きは


小遣いにしていいけな。」


と、小物感全開で、大物ぶる偉ぶる。


青年は


「本当ですか!」


と満面の笑み。


その局で18000を打ち込んで、とんだ。


「すいません。」


しょんぼりする青年。


わたしは、まだ、カッツ丼を食べ終わってなかったので


「悔しいやろう?もう一局、打っていいばい。」


と、よい先輩ぶる。


「あ、ありがとうございます!がんばります!」


次の半荘の東場で、彼の点棒はゼロになった。


手牌が育つことが嬉しくて嬉しくて


オリルなんてこと、夢にも考えていない。


常連の麻雀を観戦するにしても


きっと、手牌が育つ様子を楽しんで観戦しているのだろう、と思った。


「すいませんでした。


ありがとうございます!楽しかったです!」


青年は、そうわたしに告げると


優しい笑顔を向けた。


それから、受験まで、青年は毎日その店に現れた。


そして、現役で国立大学に合格をした。



青年は無事大学生になり、


私がその地方の大学に遊びにいった際には


新しい麻雀仲間とともに、迎えてくれた。


点30円、手積み、朝までコース。


麻雀が好きでしかないオーラは変わらずだったけれど


あまり、強くはなかった。


というか、この青年が強くなる、とは


正直思えなかった。


それから、8年。


新しく足を運んだ雀荘で、ふたたび青年と


ばったり遭遇することになる。












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2分の1の勇気 [九州麻雀ほうろうき]


「麻雀を打っているときは、本当に楽しくて


嫌なこと全てから、解放される。」


その言葉に激しく頷く。


麻雀は楽しすぎる。


だから、時々その楽しさに浮かれてしまって


また、忘れてしまう。


いちかばちか、は勇気ではない、ということを。




いつかの対局。


牌姿もよく覚えてはいない。


最近は、もう、「覚えていること」が蒙昧だ。


世界のとらえ方が、「形」から「イメージ」にかわってゆく。


なんというかぼんやりしているのだ。


親リーを受けて、一か八かの選択をして、


後悔している、ということ。




一発裏のない、競技ルール。




親の先制リーチを受けて、


二三四四五六③④⑤⑤⑥567


四が入ってこのようなテンパイだったと思う。


こんな形だったと思う。


というか、こんな色だった、と思う。


ドラは④


親のリーチはその捨て牌が


「おいら、ピンズ待ちだよ!」


と語り掛けてくるくらいピンズ本線。


そこにこのテンパイ。


親上家の捨て牌に②と⑤が飛んでいる。


二三四四五六③④⑤⑤⑥567


親の河には⑧が切られているので


③④⑤⑥⑦


こんなテンパイはない。


両面であるとしたなら、


③④


これだ。


親のリーチはピンズが高すぎるから


手の内にピンズ1メンツってことはないだろう。


ということは、複合系で組まれやすいのは


②⑤ピンではなく、③⑥ピンだ。


親には、たぶん③⑥のほうが


②⑤ピンより6割くらい危険に見える。


そして、単純枚数では、③⑥待ちのほうが多い。


③⑥⑨のスジをフォローできるってよくね?


親番も残っているし。


リーチ!


わたしは、偉そうに無スジの⑤を親リーチに切る。


一瞬、なんだか、ものすごくいけないことをしてる気がした。


けれど、危険牌を切る楽しさが


身体を完全に支配していた。


「こういうギリギリの牌を通すこと、楽しいっす!」と。



結果、親リーチの待ちは③⑥⑨


私の2分の1の選択は、正解・・。?


いや、違う。


違うだろ!


思考そのものが、間違っている。


おいら、ピンズ待ちだす!


というくらいピンズが危険なリーチに


ピンズを切ることはおかしい。


ピンズが危険!ということは?


とと思考が繋がらないことがおかしい。


楽しさにおぼれて、楽をしている。


今までなら、③⑥も、⑤も切ることはないだろう。


二三四四五六③④⑤⑤⑥567


これまでなら、安全なソーズに手をかけている。


7ソウに手をかけているだろう。


理由は


③⑥を切るか、⑤を切るか、


その選択がしっかり精査できていない。


そんな牌を切ってはいけない。


ソーズは通っている。


だから、ソーズを雀頭に求めて


二三四四五六③④⑤⑤⑥55


二三四四五六③④⑤⑤⑥66


二三四四五六③④⑤⑤⑥77


このツモパネリーチを打つ。


(結果論だけれど、実戦では5ソウをひき、


親リーチから④が出ている。)


もしくは、ソーズを全部払って


ピンズ総受の応手でもよい。


そういう麻雀を目指して


そういう麻雀を打ってきたはずなのに。


そういう麻雀がつらくて


「楽しかった」はずなのに。


楽をしている。


2分の1の選択を、「選択すること」は


勇気ではない。


それ以外の選択肢を持とうとしない


第3の選択肢を考えない楽な思考だ。


「それでいい」と思っている。


「それでいい」では済まないから


麻雀は魅力的なのだ。


自分の麻雀は、


「説明のつかない納得のできない牌を切らない」こと。


それに「矛盾」している地点で


自分にとって、お話にならないのだ。


納得できていないときには、


実のところ、言い訳が並ぶ。


この時自分は、ピンズを我慢する努力の方向を


少しも見やることなく


⑤で振り込んだ時の「言い訳」を考えていた。


言い訳の必要な「勇気」があろうものか。


本当の勇気は、この刹那のテンパイを我慢して


その先の未来を見つめることだ。


そうでなければ、重くならない。


行き当たりばったりの


吹けば飛ぶような麻雀しか打てない。


楽しい、けれど、寂しい麻雀、ではなく


苦しい、けれど、満足のゆく麻雀を。



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