さよならの朝に、きっと麻雀のある情景を想う。

「つかぴょんの麻雀パラダイス・ロスト」


1800近い記事。


本当に、麻雀のこと、好きだったんだな・・おれ。


:::::::::::::::::::::::::


 


まだ、手役は成長する。


けれど、ここは、まあリーチでいいでしょう。


あの人の麻雀気になるな。


でも、まあ、いいかまたの機会に話しかけよう。


偉そうな人。不愉快だな。


でも、まあ、いいや、だまっていよう。


もう、この対局で最後だな。


まあ、でもどこかでもう一度運よく会えるかも。


 


あげれば、キリがない。


すべて自分の麻雀への姿勢だ。


次回があると、未来に甘えて


目の前にある事柄をおろそかにしている。


ちゃんとできないなら、その気持ちがないなら、


自分はきっと、もう、麻雀を打つべきじゃない。


どうすれば、大切にできるか、がわからない。


大切にするってことは、


麻雀をひっくるめて


全てをおろそかにしないこと。


それは、とても大変で


だけど、とても大切なこと。


暗闇に包まれ、目を閉じるとき


その最後の朝に、


自分は、自分の麻雀との時間を


その情景を温かく思い出したい。


少しくすぐったいセピア色の情景を


ゆりかごに、


「悪くなかった」と、そうこぼして逝きたいのだ。


麻雀も好きだけれど


麻雀を好きなひとの集まる情景も大好きだった。


折り返しを迎えた人生。


あと、何回打つことができるのかわからないけれど


ここから先は、すべての事柄に決着をつけながら


打牌を紡いてゆきたい。


たくさんは要らないし、


蘊蓄も要らない。


上手とか、下手とか、そういうのも、意味がない。


ただ、満足のゆくものを目指すこと。


自分が満足のゆく麻雀を目指すこと。


次の機会に


なんてことは、もう一切考えずに


その刹那に注力をしよう。


最後の朝に、麻雀を大切に思い返すことができるように。


 


 



麻雀 ブログランキングへ


nice!(0)  コメント(0) 

麻雀の温度

それぞれに打ちたい麻雀がある。


自分の打ちたい麻雀は、


どこまでも果てしなく遠く。


歩いても歩いても、どこまでも、いつまでも、ふもと。


。。。、、、、


都内の高層ビルから、夜景を眺め、


嗜む習慣も持たないワインを飲む。


赤いワインのむこうに揺らぐ景色。


その色は、赤ウーピンではなく、


やはりシャア専用ザクの機体の色に近い。


孤高な峻烈な赤。


その一年をねぎらう。


歓談の中で、ワインの話になる。


「ワインはね。魔法だよ。


そこには夢がある。」


人生の節目をワインと生きてきた


紳士は教養のある柔らかい笑みを浮かべる。


その年その年で生まれるワインは違う。


同じワインには2度と遭えない。


たくさんの想いと文化が詰まっている。


私は、麻雀のこと、を思った。


一期一会の牌との出会い。


ひととの出会い。


ひとつの人生では、同じ景色に出会うことはできない。


それが、愛しかった。


大事にしたい、と。


けれど、言い訳のなかでまるで


いつくしむことが、できずに


結果、なにひとつ意味を持たせることができずに


何もできずに、時間に流してしまっている。


「麻雀も、そうなんです。


ワインと同じです。


たまらなく愛しい刹那。


そう、魔法で、夢が詰まっている。」


私は、その紳士に、そう返すころができなかった。


自分の半生をかけた麻雀への想い。


それに、まったく意味がなかった、とおもい始めている。


それは、同時に自分の歩んできた、すべての過去への睥睨。


積み重ねているつもりで、


何も積み重なってなかったのだ、と。


全ての景色が、色をなくす。


セピア色だ。


私は、峻烈なワインの色に羨望のまなざしを向ける。


孤高な色。


強い信念の色。


もう一度


ちゃんと、打牌と向き合って


ちゃんと、同卓者と向き合って


理屈や、言い訳で麻雀をごまかさずに


虚栄心や自己満足に侵食されないように、


もう一度、向かい合えるだろうか。


現在は、本当に麻雀が不思議なほどつらい。


こんなことは今までなかった。


意味があった、とりつくろうことはできる。


でも、それは、違う。


ちゃんとできないなら、その気持ちがないなら、


自分はきっと、もう、麻雀を打つべきじゃない。


どうすれば、大切にできるか、がわからないのだ。


 


 



麻雀 ブログランキングへ


nice!(0)  コメント(0) 

リーチを打って、天命を待つ。 [TSUKASA会]

つまるところ、麻雀は4人で打っている、


ということなんだ。


自分の勝手な思惑で


局の終結をコントロールするなんてこと、


それは思い上がり以外の何物でもない、だろう。


:::


南4局


西家


時間制限のある対局で


現在の局とあと一局。


1発裏なし。和了止めなし。


30,000点以上+加点と、素点に価値のあるルール。


東家 34,500点


南家 34,400点


西家 17,900点(わたくし)


北家 33,200点


南家と西家は仕掛けている。


9巡目


ドラの⑥は場に2枚。


わたしに


チートイツの北待ちのテンパイが入る。


1,600点


リーチをかけて、3,200点。


他家に直撃しても、30,000点以下に


落とすこともかなわず、


本当にどこにも届かないテンパイ。


素点の価値しかない。


このテンパイ。


南家は食い仕掛けてのチャンタの気配。


ツモ切りを繰り返しているところから


察するにテンパイは入っているだろう。


北家も食い仕掛けている。


東家親番もイーシャンテンだろう。


ふと、自分の手元の13枚を見て考える。


素点しか意味のない手役。


これを和了することは、格好悪い。


親が和了できたのであれば、もう1局


チャンスも生まれるわけだから、


このまま和了せずに流局でテンパイ料を


もらって次局、という選択肢もある。


けれど、現在の他家も和了にむかっている状況は、


他家の和了されて


さらなる失点を重ねる可能性のほうが高い。


他家は、私がリーチを打てば、そのリーチを


他家を30,000点以下に落とすことのできる


5200点以上の手組だ、とおもうだろう。


展開によっては、親番が連荘をして


もう1局チャンスが生まれる可能性もあるのに


まさか、ダンラスの私が首も切れないリーチを


打ってくるとは夢にも思わないだろう。


これは、本日最後の半荘なんだよな。


ふと、私は南家の本日の打牌を反芻する。


南家はノートップ。


スコアは最悪だ。


けれど、止めるべき牌を止め、


誠実に打牌を重ねてきている。


その打牌に無念の音が混じらないように


最大限に注意をしながら。


もし、わたしがここで、


「素点だけの和了はカッコ悪い」


なんて、うまぶったことを思って


このチートイを和了しないことによって


トップが決まる、そんなこと許されるのだろうか?


私はこのチートイの和了でトップが決まる、


そのほうが「麻雀の答なのだ」と思う。


「リーチ!」


この私の待ちである北を


東家が掴めば、南家がトップ。


他家が掴めば、東家がトップ。


私がつもれば、南家がトップ。


そういう風に、決着をするべきだ。


もし、南家が本日初のトップを取ることになるのであれば


それは、彼の麻雀に対する「麻雀の答」だ。


リーチ!


迷いなくリーチを打つ。


親番から北がこぼれる。


3200.


「なんだ?そのダサい和了は?」


という空気流れる。


確かにこのチートイの先に


このチートイツを和了せずに我慢した先に


違う未来が待っているのかもしれない。


で、あるなら、


このリーチが和了できずに流局した場合だけでよい。


このチートイを闇に葬り、


オーラスにすごい逆転劇が起こる、


現在の自分には「そういう特別」は要らない。


自然に麻雀と寄り添いたいのだ。





nice!(0)  コメント(0)