わたしたちの大切な麻雀 [麻雀]


Aさんのつぶやきが、大きな声であり、周知のものであれば、
必ず、まぁじゃんよつばさんが、丁寧に注意してくださっているはずだ。
これまでよつばさんでの対局でこのようなことは
ただの一度もないことからも、
この「Aさんのつぶやき」は
わたしにだけ発動している
Aさん本人も預かり知らぬ、三味線である。
そうなっている理由は、
わたしが、情報収集のために、
「ちからいっぱい聞き耳を立てている」からだ。
きっと。
::::::::::::::
「やられた!」
三味線だ。
激しい怒りの中、
裏返っているのではないか、と心配になるくらい
頭の後ろから声が出る。
「はい」と返事をして、点棒を払う。
ここで、わたしが苦言をAさんに伝えることは
よい選択ではない。
Aさんには、のちほど、お店のひとから
お話いただくことがよい。
ここで、わたしが問題を起こしたなら、きっと
たくさんのひとに迷惑がかかる。
世の中は理不尽なものだ。
そんなこと、驚くことでもない。
けれど、なぜ、この村田さんとの大切な大切な対局で
このようなめにあうのか。
18000点を支払い、
わたしの残りの点棒は6000点弱。
ありとあらゆる選択肢を奪われてしまった。
通常であれば、絶対に切らない6ソウ。
下家の村田さんが視界に入る。
静謐な佇まい。
そうだ、自分は現在、村田さんと同卓しているのだ。
狼狽はできない。
わたしは、深呼吸をする。
落ち着け、落ち着け。
状況を整理しよう。
起こったことは仕方がない。
問題は、これからどうするか、だ。
「ソーズはいらない」
その言葉を鵜呑みにして、ソーズを切ったのは、わたしだ。
全ての責任は、自分にある。
自分の都合の良いように解釈をして。
Aさんのつぶやきが、Aさんに有利になるように働きかけてくる
悪意を持った三味線ではないこともわかっていたはずだ。
であれば、当たり前に危険な6ソウは止めるべきではないか?
南を切って、局を送り、
Aさんのつぶやきが、打牌に対して
どのように機能しているか、を確認するべきではなかったのか?
赤5ソウはいらない、という意味で
「ソーズはいらない」とつぶやいたのだろう。
そうつぶやくことで、ソーズを取りやすくするため、ではなく。
きっと、こういうことだ、と思う。
和了できなかったときのために、言葉で保険をかけているのだ。
これはだめだ、ということで
本当にだめだったときの、自身への心理的ダメージを軽減する。
「ソーズはいらない」のつぶやきは、
おそらく、ソーズが一番欲しい、ということ。
一番欲しいソーズが埋まらなくても
自身が心理的なダメージを受けないためのつぶやきなのだ。
69ソウは、危険。
「ソーズはいらない」
の言葉云々はその景色の理由にはならない。
自分は、これまで、どれだけの捨て牌をみてきたというのか?
その膨大な記憶や経験の結果である、「6ソウ危険」という、答えを
卓上の落ちるノイズで、他人のせいにして
都合の良いように解釈するなんて、わたしの姿勢が最低だ。
私自身、テンパイを壊したくなかった。
危険な6ソウを止めて、受けることが嫌だったのだ。
だから、Aさんのつぶやきに、乗っかったのだ。
そういう部分もある。
ないとはいえない。
自分の麻雀をうえにおく、そういうとらえ方だ。
相手の言葉の意味を推察しての打牌の精査。
それが、わたしの望むもので、
Aさんの麻雀が、たまさかわたしの望む麻雀ではないだけだ。
「あなたは、あなたの好きな麻雀しか、大事にしない」
師匠の言葉が、よぎる。
わたしのなかに、Aさんの言葉を都合よく判断して
済ませてしまおう、という気持ちがほんの少しあった。
6ソウ待ちなら、57のカン6ソウにするかもしれないし
ソーズはいらない、というつぶやきには繋がらない。
また、振り込んでも12000位だろうと。
これは、甘えだ。そして
自分は、麻雀を「対人頭脳ゲーム」として理解している、という驕り。
うまぶりをこじらせているだけだ。
誤解を招く発言はよくない。
けれど、
それを理由に、麻雀の世界を歪めることは、もっとよくない。
打牌の責任は全て自分に。
誰かのせいにしたり、そんなのは、全てダメだ。
麻雀が対人頭脳ゲームであるならば、
Aさんのつぶやきも全て、読み切ってみせればよい。
わたしは、顔をあげる。
Aさんのつぶやきの仕組みは、理解した。
あとは、オーラスまで、よい麻雀となるように
自身の点棒を守りながら、対局を組み立ててゆくより他はない。
余計なことはしゃべらないほうが、よい。
このことを、将来Aさんにご理解いただくためには、
その言葉がAさんに届くくらい、想いを込めて打つことだ。
他人がどのように麻雀と付き合おうと、それを受け止め
麻雀を大切にするこころが欲しい。
下家にいらっしゃる村田さん。
対面のふかしんさん。
つぶやくことはよくないけれど、
麻雀を楽しんでいらっしゃるAさん。
この対局は、一期一会だ。
幾星霜、果てしない偶然の結果の奇跡。
同じメンツと同じ配牌には、
わたしのひとつの人生では一度しか
巡り合うことは叶わない。
村田さんの、くださった
「いつだって本番と思って打つ。」
その言葉が、脳裏をよぎる。
「大切にする。」
「どんなときも」
「卓についた以上は。」
そうだ、わたしは、まぁじゃんよつばに
麻雀の勉強に来ているのだ。
「大切な麻雀」
そう心のなかでつぶやきながら、
わたしは牌山に手を伸ばした。








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